進芸術X
2009年3月13日~2009年3月15日
横浜赤レンガ倉庫1号館
力あるアート
2009年3月22日
アートに対する私なりの価値判断の基準を述べるとすれば、それはその作品がどれだけ人を惹きつける力があるかどうか、ということになる。一瞬にして人を引きつける力、引きつけた注目を持続させる力、さらには「これは一体何だろう」と見る人の心を動かす力、そんな力を持ったアート作品を私は価値があると考えている。多摩美術大学美術学部の2009年卒業展である「進芸術」に出展された数多くの作品のうち、特に私の心を強く捉えた一つの作品にはそのような力があった。
「至福か絶望」(作者は小嶋裕士。写真#4、5参照。)と題された作品には、その作品が持つ動きにまず注目させられた。白い台の上に白く厚いフレームで囲まれたTV画面があり、画面の中には洗濯機が見える。洗濯機の中では洗濯物が右に左にぐるぐる回っている。回るたびにブーンという洗濯機特有の音が耳に入る。時折その音が中断したかと思うと、洗濯機は回転を止め、一瞬の間を置いて再び動き出す。この作品は、簡単に言えば以上がただ延々と続くだけの作品なのであるが、この作品を最初に目にしたとき、なぜだかわからないが私はしばらく画面から目を離すことができなかった。
この作品は、洗濯機もその中の洗濯物や周りの水も、ビデオカメラで撮った実際の様子を映し出しているのではなく、すべて絵で表現されている。(作品説明を見て、それが油彩で表現されていることが分かる。)作者の小嶋は、アニメーションを作るように一つの絵に動きを加えた絵を少しずつ描き足してはデジタルカメラで撮影し、また絵を描くという作業を繰り返す。その後、撮影したデジタル写真をCINEMA4Dと呼ばれる三次元コンピューターグラフィックスソフトウェアを使用して動画に仕上げたようである。
この作品に私が特に引きつけられたところは、洗濯機の中でぐるぐると回る洗濯物の動きである。水の中をぐるぐる回っている服は、そのアウトラインが黒く太い線で描かれており、洗濯機が回るたびにその黒い線は複雑に絡み合い、らせんを描く。その様は、大きな手がこぶしを握りしめているかの様である。洗濯機のブーンという回転音と相まって、その回転音が止まり一瞬の間が生じる時にそこから何か飛び出して来るのではないだろうか、などと予想したりもした。そんな「何か必ず出てくるはずだ、それがこの作品のオチに違いない」という思い込みが、この作品に注目し続けた理由の一つであったが、おそらくこれは以前見た束芋の「ハウス」の展覧会の影響であると思う。「ハウス」では、一つのアニメーション作品があり、その作品では手が重要な主題となっており、一つのストーリーとして最後にオチがあった。(参考:束芋 ハウス)
だが、この作品をしばらく見続けても上に描いたシーンがただ延々と続くだけで何も特別なことは起こらない。ただ、それはこの作品にオチがなく、退屈であるということを意味するわけではない。むしろ、同じシーンを一定のリズムで延々と画面に映し出すことにより、日常におけるやるせない非条理さを表現しているようで、この作品を見ているとなんだか物悲しくなってくる。ふと、神の怒りに触れ、山の頂まで巨大な岩を担ぎあげることを命じられた男がやっとの思いで山頂直前まで岩を担ぎあげたかと思うと、その岩は無残にも底まで転げ落ちてしまい、また一から同じことを繰り返さなければならず、この苦行が永遠に続くという「シーシュポスの石」の話を思い出した。
洗濯機の中で洗濯物が右に左に回っている様子を絵で描く。ただそれだけの作品に私の注目は引きつけられ、しばらく目をはずことができず、ついには全く関係のないような古代ギリシャの話まで夢想することになってしまった。これは一体何なのだろうか?改めてアートの持つ力に感嘆するとともに、そのような機会を与えてくれたアーティスト小嶋裕士に敬意の念をここに表したい。
この展覧会の詳細は下記まで。
http://www.idd.tamabi.ac.jp/art/exhibit/gw08/