「生活と芸術 - アーツ&クラフツ展」ウィリアム・モリスから民芸まで
2009年1月24日~2009年4月5日
東京都美術館
思想、実践、伝搬、そして発展
2009年3月8日
アーツ&クラフツ運動とは、簡単に言えば一人の思想家の思想を、別の人間が実践し、その思想が具体的に表現された建築物や生活用品として世に出ると、それが展示会やメディアを通してより広い地域に伝搬され、その思想はやがては国境を越え、各国の実情に合った独自の発展を遂げることになった一連の社会の動きである、と言えるかもしれない。いずれにせよ、本展覧会を通じ、アーツ&クラフツ運動がどのように発生し、発展し、世界各国へ波及したのか、その一連の流れを理解することができる。
この展覧会によれば、アーツ&クラフツ運動の精神的基礎になったのはジョン・ラスキンという思想家らしい。彼はイギリスにおける産業革命後の社会経済体制を批判し、中世ゴチック美術を讃美したという。そして、彼の記した書籍(例えば「ヴェネチアの石」)を愛読し、それらをアーツ&クラフツ運動の精神的な拠り所とし、その思想を実践したのがウィリアム・モリスと言われている。ラスキン同様、モリスは産業革命後の粗悪な大量生産品を批判し、中世ギルドを理想とする手仕事の重要性を世間に訴えたと言われている。
そのモリスによる運動が、具体的な形として表現されたものがレッド・ハウスと呼ばれるアーツ&クラフツ様式に則って建築されたモリス自身の住居であり、その住居内部を装飾する必要性から彼が仲間と共に設立したモリス・マーシャル・フォークナー商会であるという。この商会は、アーツ&クラフツの思想を具体的な形にした食器や生地、家具等の商品を企画、製造、販売する会社であり、それらの商品には、植物のモチーフが多用され、柔らかく、優しく、素朴な印象を受ける。モリス・マーシャル・フォークナー商会は、現在のブランドハウス(例えばエルメスなど)に相当し、商品の企画、生産、販売の全てに関与したモリスは言うならば、経営者兼クリエイティブ・ディレクターのような人ではなかっただろうか、そんな感想を抱いた。
こうしたモリスの活動を、展示会を通してより広く世間に伝搬させる役割を果たしのが1887年に設立されたアーツ&クラフツ展協会であるようだ。事実、この協会こそが、アーツ&クラフツ運動に「アーツ&クラフツ」という名称を与え、その性格を決定づけることになったらしい。この協会はイギリス内外に影響を与え、各地に類似の展示会が開催されることになる。そして、アーツ&クラフツ運動は都市から都市へ、都市から田園へと次々に波及していく。
この動きがメディアを通じて加速し、アーツ&クラフツ展協会の影響力および名声はますますゆるぎないものになり、アーツ&クラフツの思想は国境を越え伝搬していく。それが、ドイツをはじめとするヨーロッパ各国、ひいては日本におけるアーツ&クラフツ運動に繋がり、その運動は各国の実情にあった展開を見せることになる。(例えば、ドイツではイギリスにおける行き過ぎた反工業的な姿勢は緩和され、一部工業生産も正当化されたらしい。)
ちなみに、日本におけるアーツ&クラフツ運動は、すくなくとも本展覧会を拝見する限り、この運動を機に新しい創造が相次いだというよりも、従来埋もれていた日本全国各地の民芸品を柳宋悦を中心とした人物が再発見、再評価した運動ではなかったのではないだろうか。(ところで、ヨーロッパにおけるアーツ&クラフツ運動は1880年代から1916年までの期間とされているようだが、なぜ1916年で区切りが付けられているのだろうか?この疑問にお答え頂ける方は、ぜひご教示頂ければ幸いである。)
なお参考までに最後に記させて頂くと、井の頭線の駒場東大駅にある日本民芸館 で見つけたチラシが、本展覧会に行く契機になった。日本民芸館は日本風の家屋に陶芸品、木細工、衣服、鋳造品等の全国各地の民芸品を集め展示している空間である。本展覧会でも、全国各地の民芸品が展示されていたが、日本民芸館では展示空間と展示作品が調和し、統一された一つの空間が作りだされている。日本におけるレッドハウスと言えるかもしれない。是非、皆様も一度日本民芸館に足を運んでみて欲しい。
この展覧会の詳細は下記まで。
http://www.tobikan.jp/