Hamaguchi of Tokyo Art World JP

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浜口陽三と元田久治、小野耕石、杢谷圭章


2008年12月6日~2009年2月22日
ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション


展評:月下の夜の砂漠

2009年1月18日

展示会を紹介するチラシ上に載せられた一枚の絵の微細な表現に目を引かれ、本物の絵を見たいと思い本展示会に足を運んだ。展示会場でその絵が元田久治により描かれた版画であることがわかった。東京のいろいろなランドマーク、たとえば東京駅、国会議事堂、 東京タワーなど、 廃墟風に描くことが彼の作風のようだ。

しかしながら、実物を目にしたとき期待したようなエネルギーを作品から感じることはできなかった。それぞれのランドマークが丁寧に描かれ、崩れ落ちた壁面、穴の開いた地面など、ところどころに廃墟を感じさせる要素が描かれているが、今ひとつリアリティがなく、作られた廃墟という印象が抜けきれない。「東京のランドマークを廃墟風に描く」というモチーフは着眼点としては面白いが数枚みると飽きてくる気がする。作り手の強い思いが感じられないような気がするのは私だけだろうか。

一方、浜口陽三の版画作品は当美術館に常設で展示されているようだ。会場の地下一階(元田久治ら3人の作品が展示されている。)に足を運ぶ前に一度ざっと目を走らせたが、ライティングのためだっただろうか(暖色系のやわらかい照明)、そのときはどの作品も特に強い印象を残さなかった。

しかしながら、地下一階の3人の作品を見た後に一階に戻り、浜口陽三を紹介するビデオを見ている内に、次第に彼の作品が持つ魅力に気づき始めた。ビデオで紹介された作品を、すぐ近くに実際に展示されているもので再確認する。そうしたことを繰り返しているうちに、なんとなく彼の作品は「影絵」を連想させるという思いが心に浮かんできた。暗い背景にモチーフ、たとえばさくらんぼ、あるいはレモン、あるいは白菜など、がひとつぽつんと表現されている。そのモチーフと背景との間の輪郭はうっすらと、すこしグラデーションがかかったような感じだ。

なぜだろうか、浜口の作品を見ていると、月下の夜の砂漠のイメージが心に浮かんでくる。その中で酒盃を傾けているとどこからともなくたなびくような長く物悲しげに鳴り響く笛の音がきこえてくるような気がする。心に染み入るような、どこか懐かしいような、そんな感傷的な気分にしてくるのである。



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